SUPER EIGHTのメンバーとして長年第一線で活躍し続ける横山裕さん。
端正な顔立ちから「ハーフでは?」と噂されることも多く、その素顔や家族、壮絶な幼少期のエピソードまで、知れば知るほど人柄の魅力が伝わってきます。
さらに、俳優・タレントとして幅広く活躍しながらも、後輩から慕われる兄貴分としての姿も見逃せません。
今回は横山裕さんのプロフィールや芸名の由来、経歴、家族構成、そして話題となった「横山万博」の裏側までをまとめました。
読み進めるほどに、横山さんの人間味あふれる魅力を感じていただけるはずです。
横山裕がハーフと言われる3つの理由
ハーフと言われる理由 1 端正で日本人離れした顔立ち
横山裕さんは、芸能界の中でも特に整った顔立ちをしていると言われています。
透き通るように白い肌、彫りの深い骨格、スッと通った鼻筋など、一般的な日本人男性にはあまり見られない特徴を持っています。そのため「日本人離れしている」「ヨーロッパ系の雰囲気がある」と感じる人も多く、ハーフ説につながっています。
特にテレビ画面を通して見ると、その透明感のあるルックスが一層際立ちますね。
ハーフと言われる理由 2 本名と芸名の違いから生まれた憶測
横山さんは本名ではなく「横山裕」という芸名で活動しています。
この点が一部のファンや視聴者の間で、「なぜ本名を使わないのだろう?」「もしかして国籍が関係しているのでは?」といった憶測を呼ぶことになりました。
もちろん実際にはそのような事実はなく、あくまで芸名の選択によるものですが、顔立ちの印象とも重なって“ハーフ説”が強まっていったのです。
ハーフと言われる理由 3 髪色と透明感ある肌の組み合わせ
ジャニーズJr.時代の横山さんは、金髪や茶髪といった明るい髪色にしていたことがありました。
もともと肌が非常に白く透明感があるため、明るいヘアカラーとの相性が抜群で、外国人風のビジュアルが一層際立っていました。
当時の写真や映像を見た人の中には「ハーフっぽい!」と感じた人も少なくなかったようです。
横山裕の家族構成とエピソード
横山裕の実父
横山さんが3歳の時に両親は離婚。離婚の記憶として「車の中で両親が話していたことを覚えている」と本人が語っています。
離婚後はほとんど会う機会がなく、幼少期は顔すら覚えていないほど疎遠でした。成人後に再会は果たしていますが、深い交流はなく、礼儀を尽くしつつも距離感を保っているといいます。
横山裕の母親・ミナコさんについて
横山裕さんの母、ミナコさんは、シングルマザーとして3人の息子を女手一つで育てた強く優しい女性でした。経済的にも精神的にも苦労が多かったものの、常に笑顔を絶やさず、家族を支える存在でした。
横山裕さんがジャニーズ事務所に入所するきっかけも、母が履歴書を息子名義で送ったことにあります。
横山さん自身も「母がいなかったら今の自分はいない」と語るほど、母の影響と支えは大きかったです。
亡くなるまでの経緯
2010年5月16日、横山さんが青森でソロコンサートを控えていた日に、地元のスーパーで突然倒れ、虚血性心疾患により50歳で急逝。
コンサート開演の約4時間前に訃報を受けた横山さんは、「母が望むなら笑顔でステージに立ちたい」と考え、予定通りコンサートを開催しました。
この経験から、横山さんは母への強い思いと家族への責任感を深く胸に刻むこととなりました。
母親との思い出・影響
- 母を思って作詞した楽曲「オニギシ」を歌う際、涙を流すこともあり、ファンの間でも感動的に知られています。
- 母の死後、弟たちは精神的に大きな試練を経験しました。次男の勤さんは一時的に記憶喪失状態となるほどでしたが、横山さんは兄として弟たちを支え続けました。
- 家族の絆は現在も深く、弟の結婚式では横山さんと弟がトランペットでサプライズ演奏を行い、母への感謝の手紙を読み上げるなど、特別な場面で母の思いを共有しています。
義父(母の再婚相手)
母の再婚相手で、生活上の父親となりましたが、関係は良好とは言えませんでした。
幼い横山さんに「お父さんと呼べ」と強制し、手をあげたこともあったと本人が語っています。そのため精神的につらい時期もありました。
母の死後は義父との関係も薄れ、横山さん自身が弟たちを支える立場となりました。
横山裕の祖父母
幼少期、実父や義父と暮らすことが難しい時期に、祖父母のもとで育てられた経験もあります。祖父母の存在が、横山さんの幼少期を支える大きな助けになったようです。
次男・勤(つとむ)さん
母親の死後、心に大きな傷を抱え、一時的に記憶喪失を経験するなど、非常に辛い時期を過ごしました。高校を卒業してからは就職し、現在は結婚して二児の父として家庭を築いています。
かつて「芸人をしているのでは?」という噂が流れたこともありましたが、実際には芸能活動はしておらず、一般人として生活しています。
横山裕さんは、そんな弟を東京に呼び寄せて一緒に暮らし、生活面でも精神面でも支えてきました。
兄の大きな愛情と行動力があったからこそ、勤さんは家庭を持ち、安定した人生を歩むことができたと言えるでしょう。
三男・充(みつる)さん
充さんは幼少期に児童養護施設で生活していた時期がありました。しかしその後、兄である横山裕さんが引き取り、生活をともにするようになります。
学業にも熱心で、京都産業大学に進学後、さらに法政大学会計大学院へ進みました。その後、税理士の資格を取得し、現在は東京都港区・東麻布で税理士事務所を開業。
外資系税務法人でもグローバル案件を担当するなど、専門職として第一線で活躍するエリート税理士となっています。
こうした道のりの背景には、兄・横山裕さんの経済的・精神的なサポートが大きくありました。弟が夢を叶えるために惜しみなく支援する姿は、多くのファンや関係者に感動を与えています。
強い兄弟愛
母親が病気で亡くなった際、当時まだ若かった横山裕さんは「弟たちが独り立ちするまで自分が面倒を見る」と心に決め、父親代わりとなってきました。その決意は言葉だけでなく、日々の行動として示されてきたものです。
結果として、勤さんは家庭を築き、充さんは専門職として自立することができました。兄弟3人がそれぞれの人生を歩みながらも、深い絆でつながっていることは、多くの人から「理想の兄弟愛」として語られています。
横山裕のプロフィール
プロフィール
本名と芸名の由来
横山裕さんの本名は「横山侯隆(よこやま きみたか)」です。珍しい漢字のため読みづらく、当時のジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川さんが「覚えやすく、親しみやすい名前にしよう」と考え、芸名をつけました。
芸名の「裕」という字は、ジャニーさんの口癖でもある 「You(ユー)」 に由来しているといわれています。実際、横山さんは芸名が変わったことを テレビのエンドロールを見て初めて知った という驚きのエピソードもあります。
ジャニーさんは横山さんのことを「ヨコ」と呼んでおり、その愛称は現在もファンから親しまれています。
横山裕の学歴
小学校
大阪市立伝法小学校 または 大阪市立高見小学校
幼少期は経済的に厳しい環境で育ちました。母親が再婚した後は、義父との関係に悩むこともありましたが、母への深い愛情を持ちながら成長しました。
中学校 大阪市立此花中学校
中学時代はバスケットボール部の主力選手として活躍し、大阪選抜にも選ばれるほどの実力を持っていました。
また、家計を支えるためにアルバイトをして学費や生活費の一部を負担していたこともあり、幼少期から培われた責任感がさらに強くなった時期でもあります。
中学3年生の時にはジャニーズ事務所のオーディションを受け、遅刻しながらもジャニー喜多川社長に声をかけられて合格。ここから芸能活動の道が始まりました。
高校 大阪府立西野田工業高校(現・西野田工科高校)定時制課程
大阪府立西野田工業高校(現・西野田工科高校)定時制課程
全日制の高校受験は諦め、定時制課程に進学しました。
高校時代は家計を支えながら芸能活動を両立することが難しく、1年ほどで中退しています。
その後、2014年には高等学校卒業程度認定試験(高認)に挑戦し、231時間の勉強を経て合格。努力家としての一面を見せ、学業面でも成果を残しました。
横山裕の経歴
- 1981年5月9日、大阪市此花区に生まれる。
- 幼少期は経済的に厳しい環境で育ち、母親は女手一つで家計を支えていました。横山さんは3歳の時に両親が離婚し、その後5歳で母親が再婚しますが、義父とは折り合いが悪く、一時期母方の祖父母宅で暮らしていました。
ジャニーズ入所と関西ジャニーズJr.時代
- 中学3年生の時、友人がジャニーズJr.だったことをきっかけに母親が履歴書を送付。1996年12月25日にジャニーズ事務所に入所しました。
- 入所時、審査員の滝沢秀明さんには最初落とされかけましたが、ジャニー喜多川社長に直接声をかけられて合格。
- 入所後は関西ジャニーズJr.として活動。建設会社に就職しながら芸能活動を行い、後に建設会社を退職して芸能活動に専念しました。
関ジャニ∞結成とデビュー
- 2002年12月18日、関ジャニ∞が結成。
- 2004年8月25日、「浪花いろは節」で関西限定デビュー。同年9月には全国デビューを果たします。
- グループではパーカッション、トランペット、ギターなどを担当し、音楽活動だけでなく俳優としても活躍。
俳優・バラエティでの活躍
- ドラマ出演作品には『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』シリーズや『コタローは1人暮らし』など多数。舞台や映画でも幅広く活躍しています。
- バラエティ番組でもトーク力を活かしてレギュラー出演を重ね、幅広いジャンルで活動しています。
SUPER EIGHTへの改名
- 2018年以降、メンバーの脱退が相次ぎ、2024年2月にグループ名を SUPER EIGHT に改名。
- 音楽活動を継続しつつ、俳優・バラエティなど多方面での活躍も続けています。
横山裕と「24時間テレビ」マラソン
2025年8月30日から31日にかけて放送された「24時間テレビ48 -愛は地球を救う-」(日本テレビ系)で、横山裕さんはチャリティーマラソンランナーを務めました。
総走行距離は105キロ。厳しい暑さと体調不良に見舞われながらも見事に完走し、ゴール後には「おかん、俺やったぞ!」と亡き母へ向けての言葉を口にしました。
沿道には多くの人が駆けつけ、サポートスタッフと共に迎えられたゴールは感動的な瞬間となりました。
なぜ横山裕がランナーに選ばれたのか
横山さんが選ばれた理由には、彼の生い立ちと番組のテーマが深く関わっています。
母親の死や弟たちが児童養護施設で過ごした経験を持つ横山さんは、自身の体験から「支援を必要とする子どもたちに目を向けてほしい」という強い思いを抱いていました。
今年の24時間テレビのテーマが「子ども支援」に特化していたこともあり、その背景と使命感が番組のコンセプトと合致。
さらに過去の番組で生い立ちを語った際の大きな反響も決め手となり、制作陣は「リアルな体験を通してチャリティのメッセージを届けられる人物」として横山さんを起用しました。
弟たちとの絆と支え
今回のマラソンで直接テレビに登場することはなかったものの、二人の弟は陰で兄を支え続けました。
特に三男・充さんはスタート地点や休憩所で差し入れを用意するなど舞台裏でサポート。横山さんも「弟が見ていてくれるのが自分の原動力になった」と語り、ゴール後には「弟にもありがとう。家族に感謝しています」とメッセージを送りました。
事前番組では児童養護施設で過ごした幼少期のエピソードも紹介され、兄弟の絆が強調されています。
マラソンの成果と社会的意義
横山さんの挑戦は大きな話題を呼び、募金額は過去最高となる7億円を突破。視聴者の共感を集めただけでなく、「困難を抱える子どもたちへの支援を広げたい」という思いを社会全体に発信するきっかけとなりました。
ゴール直後には「やったらやれる」と力強く語り、挑戦を支えてくれた人々や家族への感謝を述べています。
横山会とは?
横山会は、SUPER EIGHTの横山裕さんを中心に結成された、関西出身ジャニーズメンバーによる交流グループです。
2007年頃からプライベートでBBQや食事会をするなど親交が始まり、2024年以降はYouTubeやイベントでも公式に企画化されました。
「横山会」の特徴は、グループの垣根を超えてメンバー同士が自然体で交流していること。後輩から横山さんが「兄貴」や「お兄ちゃん」と慕われる姿が見られる点が、ファンにとって大きな魅力です。
メンバー紹介
- 横山裕(SUPER EIGHT)
グループの中心でありまとめ役。頼れる兄貴分で、後輩たちから厚い信頼を寄せられています。 - 桐山照史(WEST.)
明るく気配り上手。横山さんと後輩をつなぐ“中間管理職”的存在。 - 濵田崇裕(WEST.)
天然な癒しキャラ。場の空気を和ませる存在です。 - 小瀧望(WEST.)
最年少らしいフレッシュさで盛り上げ役。横山さんからもかわいがられています。 - 藤原丈一郎(なにわ男子)
野球好きキャラで知られるムードメーカー。横山会では後輩代表の一人。 - 大橋和也(なにわ男子)
笑顔と明るさで周囲を和ませ、後輩の中でも特に横山さんに懐いている存在。 - 小島健(Aぇ! group)
個性派でありながらしっかり者。横山さんの信頼も厚い。 - 佐野晶哉(Aぇ! group)
最年少ながら音楽的才能もあり、横山さんから弟のようにかわいがられています。
横山会の主な活動
- YouTube企画(2024〜)
関西ならではの掛け合いやアクティビティを楽しむ様子が公式チャンネルで公開。自然体の交流が人気。 - 24時間テレビ48(2025年8月30日〜31日)
横山裕さんのマラソン挑戦を、横山会のメンバー数人がサプライズ応援。兄貴を支える後輩の姿に視聴者から感動の声が寄せられました。 - 横山万博(2025年9月11日、大阪・関西万博EXPOアリーナ)
横山会メンバーが集結した一夜限りのスペシャルイベント。トークやライブパフォーマンスで会場を沸かせました。
「横山万博」当日のハプニングまとめ(2025年9月11日)
2025年9月11日、大阪・関西万博EXPOアリーナ「Matsuri」で開催されたイベント「横山万博」は、思わぬハプニングに見舞われました。
当日は記録的な大雨で交通機関が大幅に乱れ、横山裕さんとWEST.の桐山照史さん、濵田崇裕さん、小瀧望さんの4名が東京で足止めに。会場は「主役の横山さんが不在になるかもしれない」という緊迫した状況に包まれました。
しかし残された藤原丈一郎さん、大橋和也さん、小島健さん、佐野晶哉さんの4人が臨機応変にYouTube配信を駆使し、笑いを交えながらファンを楽しませます。その後、WEST.の3人は何とか滑り込みで会場入りに成功したものの、横山さんは飛行機の機材トラブルにより最後まで到着できませんでした。
途中には小島健さんのパフォーマンスに、横山さんがスマホから「100点!」とメッセージを送る場面も。さらに「男前ランキング」で横山さんが1位に選ばれた時には、テレビ電話で登場し「俺も大好き」とストレートに伝える姿に、客席中が大きな拍手と感動に包まれました。
「主役がいない」というピンチを笑いに変え、最後まで温かい雰囲気で走り抜けた今回の横山万博。横山さんが「リベンジさせてください!」と約束してくれたので、次こそは全員揃った姿を楽しみに待ちたいですね。
まとめ
横山裕さんは大阪出身で、SUPER EIGHTの中心メンバーとして活躍する俳優・タレントです。端正な顔立ちからハーフ説もささやかれますが、日本人です。
幼少期は両親の離婚や母親の再婚、義父との複雑な関係の中で育ちました。母ミナコさんはシングルマザーとして3人の息子を支え、横山さんの芸能界入りも母の手がきっかけでした。母の急逝後は、弟たちを支える兄としての責任を果たしています。
俳優・音楽活動に加え、2025年の「24時間テレビ」ではチャリティーマラソンで105キロを完走。母や弟への思いを胸に走り、多くの人に感動を与えました。
また、関西ジャニーズの仲間たちとの「横山会」では後輩から慕われる存在として、イベントやYouTube企画で交流を深めています。
家庭での経験や家族への想い、努力と挑戦を重ねた人生が、横山裕さんの人柄と魅力につながっています。
