相川七瀬さんといえば、1990年代を代表するロックボーカリストとして数々のヒット曲を生み出してきた存在です。
大人になってから國學院大學へ進学し、学び直しを続けている姿も話題となっていますが、実は学生時代には不登校や家庭環境の変化など、多くの困難を経験していました。
小学校時代の内気な少女の姿から、中学時代に迎えた人生の転機、高校での挫折と再出発まで──その歩みには歌手になる夢を決して諦めなかった強い想いが込められています。
今回は相川七瀬さんの学歴と学生時代のエピソードを詳しくご紹介します。
相川七瀬の学歴
相川七瀬さんの学歴は、大阪市立豊里小学校 → 大阪市立東淀中学校 → 大阪府立北淀高校(中退)という流れです。それぞれの学校で、彼女の性格や夢、そして後の歌手活動につながる経験が色濃く刻まれています。
小学校:大阪市立豊里小学校
幼少期の相川さんは内気な性格で、一人で人形遊びをするのが好きでした。
学校では手芸クラブに所属し、ピアノやそろばん、学習塾にも通いながら、歌が大好きで将来の夢はすでに「歌手になること」。
工藤静香さんやZARDの曲をよく聴いていたそうです。
低学年のころは母親が薬局勤務だったため、放課後は薬局で母の仕事を待つのが日課でした。
ブログやSNSでは当時の写真を公開したり、小学校時代の同級生たちと「プチ同窓会」を開くなど、今も当時のつながりを大切にしています。
中学校:大阪市立東淀中学校
中学1年のときに両親が離婚し、母親に引き取られて育ちます。
学校生活ではいじめや人間関係のトラブルがあり、中学3年のほとんどを不登校で過ごしました。母親とは毎朝「学校へ行くかどうか」で口論になることも多く、思春期ならではの葛藤があったそうです。
それでも歌手になる夢は諦めず、母から「中学3年間頑張って、それでダメなら諦めなさい」と言われて最後の挑戦としてオーディションを受けました。
応募書類に友人の写真を貼ってしまうというハプニングもありましたが、そこで織田哲郎さんと出会い、歌手デビューへと大きな一歩を踏み出すことになります。
高校:大阪府立北淀高校(中退)
北淀高校は当時かなり荒れており、学年で100人以上が中退する環境だったといいます。
授業中に抜け出さないように有刺鉄線まで張られていたという逸話も残っています。
その中で相川さんは友人関係が次第に希薄になり、浮いた存在になっていきました。先生からも「ここにいてもプラスにならない」と言われ、中退を決断。
高校時代は夢を一度諦めかけた時期もありましたが、織田哲郎さんのレッスンや上京を経て、歌手デビューの道を歩み始めました。
相川七瀬のデビューのきっかけ
相川七瀬さんが芸能界入りしたきっかけは、中学3年生のときに最後の挑戦として受けたCBS・ソニー主催のオーディションです。オーディション自体は不合格でしたが、審査員を務めていた織田哲郎さん(後のプロデューサー)に「面白い子」と強く印象を残しました。
その後、高校生活でなじめず中退することになった相川さんに、約半年後に織田さんから「もう一度歌ってみないか」と連絡が入ります。最初は迷ったものの、母親の勧めもあり、再び挑戦する決意を固め、上京してボイストレーニングを受けるようになりました。
このように、最初のオーディションでの出会いと、織田哲郎さんからの再スカウトが、相川七瀬さんの歌手デビューへの決定的なきっかけとなりました。

学び直しへの挑戦
相川七瀬さんの学歴の大きな特徴は、40代になってから学び直しに挑戦したことです。
きっかけは「子どもに勉強しなさいと言いながら、自分は学んでこなかった」というジレンマ。親子関係が悪化するのを避けるため、自分自身も挑戦しようと決意しました。
高卒認定試験(2018年合格)
40歳を過ぎてから「これまで避けてきたことに挑戦し直したい」という強い思いから、子どもと一緒に勉強し、高卒認定試験に挑戦。2018年に見事合格を果たしました。
この挑戦は「子どもに勉強しなさいと言いながら、自分がやってこなかったことへのジレンマ」がきっかけだったそうです。子どもとともに学ぶ姿勢を見せることで、親子関係の改善にもつながりました。
大学:國學院大學 神道文化学部(2020年入学〜2024年卒業)
2020年、國學院大學神道文化学部に一般入試で入学。昔から地域の神社や伝統文化に興味を持っていたため、神道や日本文化を本格的に学ぶ場を選んだそうです。
大学では子育てや歌手活動と並行しながらも真面目に勉強に取り組み、図書館での学習や神殿での集中など独自の工夫を重ねていました。
教授や同級生にも積極的に質問する姿勢が評価され、成績優秀者として表彰されたこともあります。
大学院:國學院大學大学院(2024年4月〜)
2024年3月に大学を卒業後、そのまま大学院に進学。民俗学や神道文化を中心に研究を深めています。
学び直しは個人的な成長にとどまらず、「伝統文化を次世代に継承する」という使命感から取り組んでおり、研究活動を通じて社会貢献する姿も期待されています。
学び直しは、単に資格取得や学歴のためではなく、
- 親として子どもに背中を見せること
- 個人として挑戦をやり直すこと
- 社会や次世代への貢献を見据えること
これらを同時に実現する大きな意味を持っているのです。
相川七瀬の学びなおしが家族に与えた影響
子どもたちへの前向きな影響
相川七瀬さんは40代で大学・大学院進学に挑戦しました。
その姿は子どもたちに大きな影響を与えています。学業と歌手活動を両立しながら努力する母の姿を見て、子どもたちは「自分も頑張ろう」「母を尊敬している」と前向きな気持ちを抱くようになったと語っています。
長男と次男は、母の努力が自分たちの学びや挑戦の原動力になったと話します。
長男の大学受験では互いに教え合いながら勉強し、家族全体が学びに向かう雰囲気に包まれました。また、母親は子どもたちのやりたいことを否定せず、兄弟のような距離感で接することで、自立心や挑戦意欲を育んでいます。
次男のリオさんは、母の表現力や挑戦する姿から大きな刺激を受け、音楽への情熱を深めています。
大学で得た経験
大学では、知識の習得だけでなく「自分で考え、答えを出す力」を身につけました。神道や民俗学、各地の祭事を学び、伝統文化の価値や保存への使命感を感じるとともに、地域の神事にも積極的に参加。学びを通して家庭内の会話や学習習慣も活発になり、子どもとの関係もより深まりました。
家族の支えと日常生活
45歳で大学進学を決めた際、相川さんは最初に家族に相談せず、自分で準備を進めました。
打ち明けると「家や仕事はどうするの?」と心配されましたが、家庭を大切にするルールを守ることで、夫や子どもたちの協力を得て学びを続けることができました。
家事や育児は家族みんなで分担し、日常の会話や一緒の時間を大切にしながら、学びと家庭生活を両立しています。
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学びなおしがもたらした成長
相川さんは、この経験を通して「年齢や忙しさは言い訳にならない」「一つずつ成功体験を積み重ねることの大切さ」を実感。母として子どもたちへの影響だけでなく、個人としての成長や挑戦心を深める大きなきっかけとなりました。学びを続ける姿勢は、家族全体に前向きな刺激を与えています。
まとめ
相川七瀬さんの学歴を振り返ると、小学校時代からすでに歌への情熱を抱き、中学では不登校や両親の離婚といった困難に直面しながらも夢を持ち続けていたことがわかります。
そして高校を中退するという大きな選択を経て、織田哲郎さんとの出会いが歌手人生の扉を開きました。
挫折や逆境を経験したからこそ、彼女の歌には強さと説得力が宿っているのかもしれません。
大人になった今も大学院で学び続ける姿は、挑戦し続ける相川七瀬さんの生き方そのものを表しているといえるでしょう。

