片山さつきさんと舛添要一さんは、当時「才色兼備の頭脳派カップル」として注目されたお見合い結婚でした。
しかし、わずか3年で離婚に至った背景には、単なるすれ違いでは説明しきれない複雑な事情があったとされています。
近年、片山さん本人の証言や週刊誌報道から、結婚生活の中でどんな出来事があったのかが次第に語られるようになりました。
現在は財務大臣として活躍する片山さんですが、若き日の結婚生活については “学びの多かった時期” と振り返る場面もあります。
この記事では、当時の状況や片山さん側の証言に基づき、二人が別れを決断した理由をわかりやすくまとめます。
片山さつきが語る「結婚生活でのすれ違いと問題行動」
片山さつきさんは、2025年公開のトーク動画で「最初の結婚に大失敗」「お見合いだったんですけど」「現在の夫に救済された」といったフレーズで、自ら離婚と再婚の流れを話しています。
片山さつきさんは、過去のインタビューや記事で、舛添要一さんとの結婚生活について「典型的なモラハラだった」と感じていたと語っています。
以下は片山さん側が語った、結婚生活の中での言動とされているものです。
① 肩書の“利用”を感じたという証言
片山さんは当時、大蔵省のキャリア官僚。
片山さんによると、「自分(舛添氏)が注目されるために、私の肩書を利用したように感じた」
という思いがあったといいます。
② 経済面での不満をぶつけられたという報道
片山さんの手取りは20万円台だったにもかかわらず、毎月5〜10万円を家に入れるよう求められたとされています。
さらに、「大蔵省の女性と結婚したのに何一ついいことがない」といった不満を舛添氏が口にしていた、と報じられています。
③ 他人利用的という証言
片山さんは結婚生活を振り返り、「利用できる人はなんでも利用する。他人は利用するか寄生する対象」といった趣旨で舛添氏の人間関係の姿勢を語っています。
④ 帰宅が遅いと怒鳴られた・物を投げられたという記述
結婚前は「仕事は続けていい」「官僚の生活スタイルは理解している」と言われていたものの、実際には、
- 帰宅が遅くなると怒鳴られる
- 物を投げられた
といった行為があったと片山さんは証言しています。
このため、片山さんは夜中にタクシーで実家へ避難したこともあったと語られています。
⑤ 浮気・数名の女性関係が発覚したと報じられた
離婚を決意し弁護士に相談した際に、
- 複数の愛人
- 妊娠している女性の存在
などが調査で分かったと報じられています。
片山さんは、こうした女性関係も精神的なモラハラ要素だったと振り返っています。
片山さつきと舛添要一の結婚から離婚まで
片山さつきさんと舛添要一さんがお見合い結婚したのは、当時それぞれが多忙なキャリアを歩んでいたことが大きな背景にありました。
お互いに仕事に全力で向き合っていたため、自然な出会いの時間がなかったこともあり、信頼できる共通の知人を通じて「価値観が近い頭脳派同士の出会い」がセッティングされたと言われています。
1986年当時、舛添さんは38歳で東京大学の助教授を務めながら政治評論家としても活躍。
その一方で片山さんは、27歳という若さで大蔵省のキャリア官僚として注目される存在でした。
知的で実力のある二人の組み合わせは、周囲からも“才色兼備カップル”として温かく見られていたそうです。
仲人は当時の福田赳夫元総理大臣、結婚式の乾杯の音頭も竹下派の幹部が務めるなど、政治界の大物たちが関わった注目の結婚でした。
ただ、結婚後も二人は変わらず多忙で、仕事優先の生活が続いたことがすれ違いにつながっていきました。
真面目で努力家な二人だからこそ、家庭との両立は簡単ではなく、生活リズムや価値観の違いが少しずつ大きな隔たりになってしまったと片山さんは振り返っています。
二人は、
- 舛添さん…東大助教授で研究中心の“自宅で長時間過ごす”タイプ
- 片山さん…夜遅くまで働く官僚で“外で多忙に動く”タイプ
という、まったく異なる生活スタイルの持ち主でした。
当初、結婚は「仕事との両立」を条件に進められましたが、実際には片山さんの激務を舛添さんが十分に理解できず、家庭観・仕事観の違いが大きな溝になっていきます。
その結果、
- 生活リズムが合わない
- お互いの働き方への理解不足
- 結婚観の違いが埋まらない
といった理由から、結婚生活は約3年で終わりを迎えました。
離婚後、二人は40年間連絡を取っていないものの、舛添さんは片山さんの政治家としての活躍に触れ、「大したものだ」とエールを送り、現在はそれぞれの道で成功しています。
「多忙なエリート同士のお見合い結婚だったが、価値観や生活リズムの違いが大きく、結婚生活は続かなかった」というのが離婚の表向き理由です。
舛添要一とはどんな人物?
舛添要一(ますぞえ よういち)さんは、国際政治学者としてキャリアを築いたのち、国政・地方政治を担った政治家、政治評論家として知られる人物です。
東京大学法学部出身の知識人であり、学者・評論家・大臣・東京都知事など幅広い肩書を持ってきました。
基本プロフィール
学者・評論家としての歩み
大学卒業後は研究の道へ進み、
- 東京大学法学部助手
- パリ大学現代国際関係史研究所
- ジュネーブ高等国際政治研究所
などで国際政治・ヨーロッパ外交史を研究。
1979年から約10年間、東京大学教養学部政治学助教授として教壇に立ち、その後は「舛添政治経済研究所」を設立し、政治評論家としても活動を広げました。
政治家としての経歴
舛添さんは2001年に政界入りして以降、国政と地方行政の両面で役職を経験しています。
国政での主な経歴
- 2001年: 参議院議員選挙(自民党・比例)で初当選
- 2007〜2009年: 厚生労働大臣(安倍・福田・麻生内閣)
- 年金問題、高齢化対策、医療制度改革などを担当
- 2010年: 新党改革の代表に就任
東京都知事(2014〜2016年)
- 2014年:第19代東京都知事に就任
- 社会福祉、子育て支援、都市インフラ、東京五輪準備などに取り組む
- 2016年:政治資金問題を受け 辞職
現在の活動
都知事辞職後は議員に復帰することはなく、
- 政治評論家
- コメンテーター
- 執筆活動
- 講演活動
などを中心に活動し、多数の著書も出版しています。
テーマは国際政治、日本外交、安全保障、社会保障政策などが中心です。
まとめ
片山さつきさんと舛添要一さんの離婚は、表向きには「多忙によるすれ違い」と語られることが多いですが、実際には典型的なモラハラだったことがわかりました。
片山さんはインタビューで「適齢期ギリギリで見合い結婚をしたら大失敗」「結婚直後から不幸の連続」「悪い思い出しか残らない結婚だった」といった趣旨を自分の体験として語っており、結婚・離婚・不妊治療を含めた人生経験を、同じように悩む人へのメッセージとして話している側面もあります。
エリート同士の結婚でありながら、仕事に全力を注ぐ二人にとって、家庭の形を作ることは想像以上に難しかったのだといえます。
現在、片山さんは財務大臣として経済政策や女性支援の分野で活躍し、前向きにキャリアを築いています。
過去の結婚生活はすでに一区切りがついた出来事ですが、その経験が今の片山さんの強さにもつながっているのかもしれません。


