2025年大晦日放送の第76回NHK紅白歌合戦で、ゲスト審査員として名前が発表された小田凱人(おだ・ときと)さん。
19歳という若さもあり、「どんな人物?」「なぜ紅白の審査員に選ばれたの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
小田凱人さんは、9歳で骨肉腫を発症しながらも車いすテニスと出会い、世界の頂点に立ったトップアスリートです。
四大大会とパラリンピックをすべて制覇し、生涯ゴールデンスラムを達成するなど、数々の最年少記録を打ち立ててきました。
この記事では、小田凱人さんのプロフィールや家族、学歴、学生時代のエピソード、そして紅白歌合戦の審査員に選ばれた理由について、わかりやすくまとめています。
小田凱人(おだ ときと)プロフィールまとめ
小田凱人の家族構成は?
小田凱人さんは、父親・母親・姉・本人・弟の5人家族で育ちました。
闘病生活から世界トップ選手になるまで、家族全員が一丸となって支えてきたことが知られています。
小田凱人の父親
父親の名前や職業は公表されていませんが、ギターが趣味で、練習や遠征に付き添うなど家族のまとめ役として凱人さんを見守ってきました。
父親はテニス開始当初、近所の公園で毎日練習相手を務め、「お前ならできる!」と励ましました。
凱人さんが父親のギターを借りて弾けるようになったというエピソードもあり、温かい親子関係がうかがえます。
小田凱人の母親:直子さん
母親の直子さんは、凱人さんの競技人生を最も近くで支えてきた存在です。
テニス練習の送迎や毎日の食事管理を担い、闘病中の入院生活でも常に寄り添い、退院後に自宅で壁打ち練習ができるように練習環境を整えました。
多忙な生活の中でも、凱人さんの「世界一を目指す夢」を全力で応援し、精神面でも大きな支えとなっていたようです。
姉
姉は一般人のため詳しい情報は公表されていませんが、年齢は20〜22歳前後とみられ、大学生または社会人と推測されています。
家族の一員として、凱人さんを陰から支えてきた存在です。
弟:桃次郎くん
弟の桃次郎くんは凱人さんより4歳年下で、サッカーに打ち込んでいます。
学校では兄の活躍を誇らしげに語ることもあるそうで、兄弟仲はとても良好。
凱人さん自身も弟を大切にしており、家族の強い絆が感じられます。
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2年連続で日本プロスポーツ大賞殊勲賞を受賞
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小田凱人の学歴と学生時代のエピソード
小田凱人さんは、小学校から高校まで愛知県一宮市の学校に通い、競技と学業を両立してきました。
2025年現在、大学進学についての公表はなく、プロ車いすテニス選手としての活動に専念しているとみられます。
小学校時代|サッカー少年から運命の転機へ
小田凱人さんは一宮市立瀬部小学校を卒業しています。
小学生時代はサッカーに熱中し、将来はプロ選手になることを夢見る活発な少年でした。
しかし9歳のときにプレー中に左股関節に激しい痛みを感じるようになりました。
検査の結果左股関節と大腿骨の一部に発生した骨肉腫であることがわかりました。
抗がん剤治療を17回受け、手術で腫瘍を切除して人工関節に置き換えました。手術後1〜2ヶ月は寝たきり状態で激痛に苦しみました。
長期入院を余儀なくされる中で、友人や先生から励ましの言葉を受け、精神的な支えとなったそうです。
手術の後遺症で左脚の運動機能が失われ、歩行は杖使用の短距離のみ可能となりました。
入院中、担当医師からパラスポーツを勧められ、YouTubeで2012年ロンドンパラリンピックの国枝慎吾選手の動画を見て感動。
退院後、地元クラブで10歳から車いすテニスを始め、闘病をバネにジュニア世界一へ進みました。
この頃に書いた作文では、「車いすテニスで世界一になる」という目標をすでに掲げており、早い段階で強い意志を持っていたことがうかがえます。
中学校時代|学業と競技の両立に奮闘
中学校は一宮市立西成中学校を卒業。
学校生活を楽しみ、友人との交流や給食の時間が特に印象に残っている思い出だと語られています。
一方で、修学旅行と試合日程が重なり参加が難しくなるなど、競技との両立に苦労する場面もありました。
それでも努力を続け、14歳11か月という若さでジュニア世界ランキング1位を達成。
母校を訪問した際には、後輩たちに「夢を諦めないことの大切さ」を語る姿が印象的でした。
高校時代|通信制高校でプロ転向を決断
高校は角川ドワンゴ学園N高校(通信制)に在籍・卒業しています。
2022年頃、高校入学とほぼ同時期にプロ転向を果たし、競技と学業を並行して進める道を選びました。
入学当初は、同世代の友人たちのSNSを見て「普通の生活に戻りたい」と葛藤することもあったそうです。
そんな中、ギターを弾いたり絵を描いたりして気持ちを切り替え、柔軟なカリキュラムを活用しながら競技に専念しました。
大学進学は?(2025年現在)
2025年現在、小田凱人さんの大学進学についての公式な発表はありません。
現在はプロ車いすテニス選手としての活動に集中していると考えられます。
小田凱人の経歴|9歳の発症から19歳で世界の頂点へ
小田凱人さんは、9歳で骨肉腫を発症しながらも、10歳で車いすテニスを始め、15歳でプロ転向。
その後、数々の最年少記録を更新し続け、19歳で生涯ゴールデンスラムを達成したトップアスリートです。
初期経歴(2015年〜2021年)|車いすテニスとの出会い
9歳のとき、左脚に骨肉腫を発症し手術を受けた小田凱人さん。
その翌年、10歳で車いすテニスを始め、競技人生をスタートさせました。
- 2020年:世界ジュニアマスターズで単複優勝(最年少記録)
- 2021年:ジュニア世界ランキング1位(日本人男子初)
- 世界国別対抗戦ジュニアで日本初優勝に貢献
この時点ですでに、世界から注目される存在となっていました。
15歳でプロ転向|世界トップへの急成長
2021年、15歳で東海理化所属のプロ選手として転向。
プロ転向後すぐに頭角を現します。
- 全仏オープンでグランドスラム最年少出場
- 同大会でベスト4進出
- NECマスターズで最年少優勝
- 世界ランキングが急上昇
若干10代半ばで、世界のトップ選手と互角に戦う存在へと成長しました。
世界の頂点へ(2023年〜2025年)
その後も記録更新は止まりません。
2023年
- 全仏オープン最年少優勝
- 世界ランキング1位(17歳35日)
- ウィンブルドン優勝
2024年
- 全豪オープン優勝
- 全仏オープン優勝
- パリパラリンピック男子シングルス金メダル(最年少)
2025年
- 全米オープン初優勝
- 生涯ゴールデンスラム達成(19歳・最年少記録)
若くして歴史を塗り替えた存在
小田凱人さんは、単なる若手有望選手ではなく、車いすテニス界の歴史を塗り替えてきた存在です。
9歳での発症という大きな試練を乗り越え、努力と才能で世界の頂点に立った姿は、多くの人に希望と勇気を与えています。
なぜ小田凱人は紅白歌合戦のゲスト審査員に選ばれた?
小田凱人さんは、第76回NHK紅白歌合戦(2025年大晦日放送)のゲスト審査員に選ばれました。
NHKメディア総局長の説明によると、小田凱人さんは2025年を象徴する人物の一人として選定されたとのことです。
その理由には、車いすテニスにおいて四大大会(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)とパラリンピックをすべて制覇し、生涯ゴールデンスラムを達成した実績が挙げられています。
19歳で世界の頂点に立った象徴的存在
小田凱人さんは、わずか19歳という若さで世界のトップアスリートとして活躍しています。
競技成績だけでなく、パラスポーツの可能性を広く伝え、多世代に希望や勇気を与える存在である点も高く評価されました。
その姿勢や生き方は、スポーツファンに限らず、多くの視聴者にとって印象深いものとなっています。
豪華ゲスト審査員との共演も話題に
今回の紅白歌合戦では、他のゲスト審査員として
- 俳優の仲野太賀さん
- 女優の高石あかりさん
- サッカー界のレジェンド三浦知良さん
- 声優の野沢雅子さん
- 女優の松嶋菜々子さん
- 文学評論家の三宅香帆さん
など、幅広い分野から選ばれた顔ぶれが名を連ねています。
その中でも小田凱人さんは、若さ・実績・社会的メッセージ性を兼ね備えた存在として、紅白の多様な審査員ラインナップにふさわしい人物といえるでしょう。
まとめ
小田凱人さんは、9歳で骨肉腫を発症しながらも車いすテニスと出会い、10代で世界の舞台へと駆け上がったトップアスリートです。
15歳でプロ転向後は数々の最年少記録を更新し、19歳で生涯ゴールデンスラムを達成するなど、車いすテニス界の歴史を塗り替えてきました。
こうした圧倒的な競技実績に加え、困難を乗り越えて挑戦し続ける姿勢や、パラスポーツの魅力を広く伝えてきた点が評価され、第76回NHK紅白歌合戦のゲスト審査員に選ばれたといえるでしょう。
2025年を象徴する人物の一人として紅白の舞台に立つ小田凱人さん。
その存在は、音楽番組という枠を超え、多くの視聴者に勇気と希望を届けるものとなりそうです。
今後のさらなる活躍にも注目が集まります。

