2020年4月23日、新型コロナウイルスによる肺炎により、女優の岡江久美子さんが63歳という若さでこの世を去りました。
あまりにも突然の別れに、夫である俳優の大和田獏さんと娘の大和田美帆さんは「今はただ残念で信じがたく、悔しくて悔しくて他は何も考えられない状態です」と連名でコメントを発表しました。
あれから5年。深い悲しみの中から、大和田獏さんはどのように立ち直り、現在どのような活動をされているのでしょうか。
喪失からの日々~眠れない夜と向き合って
岡江久美子さんを失った獏さんの悲しみは深く、今も時折眠れない夜があるといいます。
娘の美帆さんは「父は眠れない夜がときどきあるみたいです」と明かしており、5年が経った今でも、妻の不在を実感する瞬間があることが伺えます。
コロナ禍という特殊な状況下での別れは、最後のお別れすらできないという辛さを伴いました。
美帆さん自身も「私は自分の母親に、お別れをしてあげられなかったんだと思うと震えて泣いてしまって、今もずっと心に蓋をしたまま」と語っており、家族全員が完全には受け入れきれない喪失感を抱えていることが分かります。
娘の提案で始まった二世帯同居
岡江さんが亡くなってから約1年後の2021年頃、美帆さんから獏さんへある提案がなされました。それが二世帯同居でした。
「寂しそうに見えちゃったのかな。でも、うれしかった」
獏さんはこう振り返ります。
美帆さん自身は「同居は絶対にないと思っていた」と語っていましたが、父の様子を見て決断したといいます。
ただし、完全な同居ではなく、玄関もキッチンも別々の二世帯住宅。
食事を一緒にするのは週に1度ほどで、料理が得意な獏さんは自分で食事を作り、一人の時間も大切にしながら、それでも家族が近くにいる温かさを感じられる、そんな絶妙な距離感での暮らしを選びました。
手料理にも定評がある獏さんは、SNSで「稽古場弁当」を披露し、「最高のスタメンおかず」「彩りが上手」とファンから称賛されるなど、料理を通じて日常を楽しんでいる様子も見られます。
「ばくみほ」~母の思いを胸に始めた新たな活動
悲しみの中でも前を向くきっかけとなったのが、娘の美帆さんとのユニット活動でした。
2023年頃から「BAKUMIHO(ばくみほ)」というユニットを結成し、難病や障害を抱える子どもたちのための活動を始めました。
このユニット名には特別な意味が込められています。「ばく・くみこ・みほ」──父と娘の間には、いつも母・岡江久美子さんの「くみこ」がいるのです。
「この活動があったからこそ、つらかった時期に前を向けた」と美帆さんは語ります。
どんな時も前向きだった岡江さんの姿勢を受け継ぎ、人のために何ができるかを考え行動する。
それが二人にとっての癒しとなり、生きる力になっているのです。
「BAKUMIHO(ばくみほ)」の活動内容
大和田獏さんと娘の大和田美帆さんは、親子ユニット「ばくみほ」として、難病や障害を抱える子どもたちや、高齢者など劇場に足を運びにくい人たちのもとに歌や絵本の読み聞かせ、手品などのパフォーマンスを届ける活動を行っています。
美帆さんは「子どもが笑えば世界が笑う」というプロジェクトも立ち上げ、持ち前の行動力で多くの人を巻き込みながら活動を広げています。
企画書を自ら持って歩き回り、実現していく姿は、まさに母から受け継いだエネルギーそのものです。
一周忌には音楽葬を配信
2021年4月23日、岡江さんの一周忌には「スマイル!岡江フェスティバル~音楽とともに~」をオンラインで動画配信しました。
岡江さんは生前、自身の両親を音楽葬で見送り、自分も音楽葬にしてほしいという希望を持っていたため、その意志を尊重して音楽フェスの形でお別れをしました。
ピアノの生演奏が流れ、岡江さんの友人たちが楽しい思い出話で故人を偲ぶ、心温まる会となりました。
このフェスティバルはただの追悼行事ではなく、岡江さんの座右の銘「毎日が祭り」にちなみ、「お祭り」のように賑やかで笑顔があふれるイベントとなっていました。
さらに、視聴料の収益は小児がんや難病と闘う子供たちを支援するNPOとホスピスに全額寄付され、社会貢献の意味も持っていました。
「うれしかったのは、配信後に父がすごくほめてくれたこと。ああ、本当にやってよかった。私は喪失感を抱えたままの父にも節目を迎えさせたかったんだ、と気づきました」
美帆さんのこの言葉には、父を思う優しさと、家族で前を向こうとする強さが表れています。
現在の活動~舞台を中心に精力的に
現在も獏さんは俳優として精力的に活動を続けています。
2024年から2025年にかけての主な舞台出演作
- 「かへり花」(2024年9月)
- 「おばぁとラッパのサンマ裁判」(2025年2月)
- 「モンテンルパ」(2025年3月)
- 「ガマ」(2025年5月〜6月)
- 「五十億の中で ただ一人」(2025年11月〜12月予定)
74歳という年齢を感じさせない活動ぶりで、舞台に立ち続けています。特に「ガマ」は読売演劇大賞を受賞した作品への出演となりました。
また、美帆さんとの「BAKUMIHO」の公演も各地で行われ、2025年5月には幼稚園での公演なども実施。親子で温かいステージを届けています。
岡江久美子さんの存在は今も
美帆さんは2025年4月23日、母の5回目の命日にこう綴りました。
「命日がとても苦手だとここ数年で実感しました。亡くなったことを実感しなくてはいけないのが辛いのは、まだどこかで信じたくない気持ちがあるからでしょうか。あの日の本当の悲しみはまだ蓋の中にあります。全部は受け止めきれなくて。生きるために必要な蓋ならば、閉めたままでもいいでしょうか」
完全に受け止めきれない悲しみを抱えながらも、それでも前を向いて歩んでいこうとする姿がそこにあります。
獏さんも美帆さんも、岡江さんが「みんなを照らす太陽」のような存在だったと語ります。
その明るさ、前向きさ、人を思いやる心 それらは確実に家族に受け継がれ、今も二人を照らし続けています。
まとめ~喪失を乗り越え、人のために生きる
大和田獏さんは、最愛の妻を失った深い悲しみの中から、娘や孫の支えを得て、そして人のために何ができるかを考えることで、少しずつ前を向いてきました。
料理を楽しみ、舞台に立ち、子どもたちに笑顔を届ける。日常の小さな幸せを大切にしながら、社会に貢献する活動を続ける。それが今の獏さんの生き方です。
5年という月日が経っても癒えることのない喪失感を抱えながら、それでも歩み続ける姿は、同じように大切な人を失った多くの人々に希望を与えています。
「ばくみほ」の活動を通じて、岡江久美子さんの温かさは今も多くの子どもたちに届けられています。
そして、その活動こそが、獏さんと美帆さんにとっての癒しとなり、生きる意味となっているのです。
74歳を迎えた大和田獏さん。これからも岡江さんの思いを胸に、娘とともに、温かい笑顔を届け続けていくことでしょう。


