日本の政界で長年にわたり存在感を示してきた政治家、安住淳(あずみ じゅん)氏。
NHK記者から政界へ転身し、財務大臣や立憲民主党幹事長など数々の要職を歴任してきたベテラン政治家です。
近年は、中道政治の再構築を掲げ、公明党との連携や新党「中道改革連合」の結成を主導するなど、日本政治の転換点に関わる動きでも注目を集めています。
本記事では、安住淳氏のプロフィールや家族構成、学歴、経歴を振り返りながら、現在の政治的立ち位置や目指す方向性について、わかりやすくまとめていきます。
安住淳のプロフィール
安住淳の家族構成
安住淳氏は、妻と子ども2人(長男・長女)の4人家族 です。
家族に関する情報は比較的控えめで、プライバシーを重視している姿勢がうかがえます。
安住淳の妻について
安住氏の妻は一般人であり、名前や学歴、職歴などの詳しい情報は公表されていません。
一部では「元アナウンサーではないか」という噂もありますが、公式に確認された事実ではありません。
2021年の報道では、妻の年齢は59歳前後とされており、安住氏と同世代である可能性が高いとみられています。
2026年の時点でご家族について新しい情報はありませんでした。
安住淳の子どもについて
子どもは長男と長女の2人です。
2021年時点では、長女は会社員、長男は大学生(20歳前後)と報じられていました。
2026年現在では、2人ともすでに成人していると考えられますが、名前や詳しい職業などは公表されておらず、政治活動に関わっているかどうかも明らかになっていません。
一部では将来的な政治後継者候補として名前が挙がることもありますが、こちらも現時点では未確認情報です。
安住淳の父親の背景
安住淳氏の父親は、安住重彦(あずみ しげひこ)氏。
宮城県牡鹿町(現在の石巻市)で町長を務めた人物として知られています。
重彦氏は2011年に亡くなっていますが、地元に根ざした政治活動を行っており、その姿勢が安住淳氏の政界進出や地域重視の政治姿勢に影響を与えたとされています。
安住淳の学歴について
安住淳氏は、地元・宮城の名門校から早稲田大学へと進学し、学生時代から報道や言論の世界に強い関心を持っていた人物です。
宮城県立仙台第二高等学校(仙台二高)
安住淳氏は、宮城県立仙台第二高等学校(通称:仙台二高) の出身です。
仙台二高は県内有数の進学校として知られており、学業レベルの高い環境で学んでいました。
高校時代は地元・宮城で勉学に励み、一浪を経て大学進学 を果たしています。
この経緯から、大学受験に対して真剣に向き合い、粘り強く努力する姿勢がうかがえます。
地方出身者として、将来を見据えながら着実に進路を切り開いていった時期といえるでしょう。
早稲田大学 社会科学部
高校卒業後、安住氏は 早稲田大学社会科学部 に進学し、同学部を卒業しています。
大学では、学生自治や言論活動で知られる 雄弁会 に所属。
また、国際貿易論を専門とする大畑弥七教授のゼミ で学び、国際経済や社会構造について理解を深めました。
この時期に培われた
- 論理的思考力
- 討論力
- 社会問題を多角的に捉える視点
は、後の報道記者としての活動、そして政治家としての国会論戦の基盤になったとされています。
学生時代のアルバイト
安住氏の学生時代を語るうえで特徴的なのが、NHKでのアルバイトディレクター経験です。
大学在学中から放送の現場に関わることで、報道の実務を体験し、社会を伝える仕事への関心を一層深めていきました。
この経験がきっかけとなり、大学卒業後は NHKに入局。
その後、記者としてのキャリアを積み、最終的に政治の世界へ進む道へとつながっていきます。
安住淳の経歴について
安住淳氏は、NHK記者から政界へ転身し、財務大臣や立憲民主党幹事長などの要職を歴任してきた、日本政界でも屈指の経験を持つベテラン政治家です。
NHK記者時代(1985〜1993年)
早稲田大学卒業後の1985年、安住淳氏は NHKに入局。
最初の配属先である秋田放送局では、事件・警察担当記者として現場取材を重ねました。
その後、東京報道局政治部に異動し、総理官邸、自民党、文部省(現・文部科学省)などを担当。
国政の中枢を取材する立場から、日本政治の実態を間近で学びました。
1993年にNHKを退職後、細川護熙元首相の秘書を務め、報道の立場から実際の政治運営へと関わる道を選びます。
政界入りと衆議院議員としての歩み
1996年の衆議院議員総選挙で、宮城5区(現在の宮城4区)から初当選。
以降、連続当選を重ね、現在は10期目となる長期政権議員です。
民主党時代から党運営の中核を担い、
- 選挙対策委員長
- 国会対策委員長
- 幹事長代行
など、実務を支える要職を歴任してきました。
政権中枢での役割(民主党政権)
鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣では 防衛副大臣 を務め、安全保障政策に携わりました。
続く「野田佳彦内閣(2011〜2012年)」では、第15代 財務大臣 に就任。
政府税制調査会長も兼任し、財政・税制という日本の根幹政策を担当しました。
民進党・立憲民主党での活動
民主党解党後は民進党、立憲民主党へと活動の場を移し、国会対策委員長(初代・第3代)、代表代行などを務め、野党としての国会戦略を主導。
2025年9月からは立憲民主党幹事長に就任し、現在は党運営の中枢として、与野党折衝の要を担っています。
地元・政策分野での取り組み
宮城県石巻市出身の政治家として、東日本大震災の被災地復興に力を注いできました。
また、防衛副大臣の経験を生かし、安全保障分野においても専門性を発揮しています。
1月16日(金)10:30〜予定しておりました野田代表の 「定例」記者会見は、中止とさせていただきます。
— 立憲民主党 (@CDP2017) January 15, 2026
よろしくお願い申し上げます。 https://t.co/y3eGyEqY4p
現在の政治活動と立ち位置
2026年1月現在、安住氏は立憲民主党の幹事長として、そして新たに結成された新党「中道改革連合」の共同幹事長候補として、まさに日本の政治を動かす中心人物になっています。
1. 「税金の無駄遣い解散だ!」高市総理への真っ向勝負
2026年1月14日、高市総理が衆議院の解散を表明した直後、安住氏は記者団の前で怒りをあらわにしました。
「予算審議をストップさせてまで、なぜ今なのか。理不尽な『税金の無駄遣い解散』だ」
この言葉、すごく安住氏らしいですよね。元財務大臣として「お金の使い方」に厳しく、元NHK記者として「国民への説明」を重視する。
そんな安住氏のこだわりが詰まった批判でした。
2. 「中道」という新しい旗印
安住氏は今、「分断や対立ではなく、生活者ファーストの政治を」と訴えています。
長年、自民党と対峙してきた彼が、かつてのライバルとも言える勢力を巻き込んで新党を作ろうとする姿には、これまでのイメージを超えた「本気度」を感じます。
2026年の抱負を漢字一文字で「集」と語った安住氏。
バラバラだった勢力を一つに集め、新しい政治の受け皿を作ろうとする安住氏の挑戦は、2月8日の総選挙で一つの答えが出ることになります。
3. 根底にあるのは「現場の視点」
どれだけ立場が偉くなっても、安住氏が大切にしているのは地元・宮城県の石巻などの現場です。震災復興が進まない現状や、物価高に苦しむ声。
「机上の空論ではなく、生活者の実感に合った政治を」
そんな安住氏の信念が、今回の大きな政治行動のエネルギー源になっているのかもしれません。
まとめ
安住淳氏は、宮城県石巻市出身の政治家として、報道記者の経験を土台に政界入りし、国会と党運営の両面で実績を積み重ねてきました。
ベテラン政治家として、今まさに歴史的な「勝負」に出ている安住淳氏。
テレビで見せる厳しい顔の裏には、日本の政治を根本から変えようとする執念のようなものが透けて見えます。
現在は立憲民主党幹事長として、対立や分断を避けた穏健な中道リベラル路線を掲げ、公明党との協力による「中道改革連合」の結成を主導。
与野党折衝の経験を生かし、現実的で合意形成を重視する政治を目指しています。
地元・宮城への思いと国政での豊富な経験を併せ持つ安住淳氏が、今後どのように日本の政治地図を描いていくのか。
2月の選挙に向けて、この「仕掛け人」が次にどんな一手を打つのか。その動向は、これからも注目され続けるでしょう。




