高市早苗夫・山本拓の結婚歴|元妻との3人の子どもと再婚までの物語

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高市早苗首相の夫、山本拓(やまもと たく)さんは、福井県出身の元衆議院議員で、政治家としての豊富な経験を持つ人物です。


一度目の結婚では元妻との間に3人の子どもをもうけ、政治活動と家庭を両立させながら歩んできました。


その後、2004年に高市早苗首相と再婚し、現在は“ステルス旦那”として陰から支える日々を送っています。

この記事では、山本拓さんの結婚歴、元妻との家庭、3人の子ども、そして高市首相との結婚・離婚、再婚までの歩みを丁寧に紹介します。

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山本拓(やまもと たく)のプロフィール

山本拓(やまもと たく)さんは、1952年7月7日生まれの日本の政治家です。


出身地は福井県鯖江市で、地元ではよく知られた政治一家の出身です。


祖父の山本雅雄氏、父の山本治氏(元鯖江市長・福井県議会議長)も政治家として活動しており、地域に深く根ざした家系に育ちました。

学歴

  • 鯖江市神明小学校 卒業
  • 鯖江市中央中学校 卒業
  • 福井県立武生高等学校(現・越前市) 卒業
  • 法政大学文学部 卒業

武生高校は福井県内でも有数の進学校として知られており、偏差値はおよそ65前後。


1971年に高校を卒業後、法政大学で文学を専攻し、学生時代から地域社会や公共政策に関心を持っていたといわれています。

経歴

大学卒業後は、地元・福井県議会議員として政界入り。


その後、1990年の衆議院議員総選挙で初当選し、以来8期にわたり国政で活躍しています。

自民党所属の議員として、

  • 衆議院北朝鮮による拉致問題特別委員長
  • 政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員長
  • 農林水産副大臣
  • 自民党副幹事長、総務会副会長

などを歴任。特に農業政策やエネルギー戦略分野で長年にわたり発言力を持つベテラン議員です。

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元妻との結婚と離婚、そして3人の子どもたち

山本拓さんには、高市早苗さんと結婚する前に一度結婚歴があります。


最初の妻(前妻)は一般女性で、政治家ではなく、名前や職業・顔写真などは公表されていません。


1970年代後半ごろ、山本さんが20代半ば・福井県議会議員として活動を始めた時期に結婚されたといわれています。

前妻との家庭と子どもたち

前妻との間には3人の子どもがいます。

  • 長女:涼子さん
  • 長男:建(たける)さん(福井県議会議員)
  • 次女:杏子さん

長男の建さんは父と同じく政治の道を歩み、現在も地元・福井県で県議会議員として活動中です。


子どもたちはすでに全員成人し、山本さんには4人のお孫さんもいると伝えられています。

離婚の経緯

最初の結婚生活はおよそ20年以上続き、**1990年代初頭(1991~1993年頃)**に離婚されたといわれています。


当時の山本さんは国政進出を果たしたばかりで、東京と地元を往復する多忙な日々を送っていました。


そのため、家庭と政治活動の両立が難しくなり、自然とすれ違いが生まれたとされています。

離婚理由については、報道などによると「政治活動による生活のすれ違い」が中心であり、不祥事やトラブルなどは一切なかったとされています。

離婚後の関係

離婚後、前妻は政治の表舞台には立たず、子どもたちとともに地元で静かな生活を送っています。


山本さんも、子どもたちとの関係は良好に保たれていると報じられており、家庭人としての責任感を大切にしてきた様子がうかがえます。

なお、山本さんが高市早苗さんと再婚したのは2004年であり、その時点で前妻との婚姻関係はすでに10年以上前に解消されていました。

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高市早苗との出会いと結婚、離婚 そして再婚までの歩み

山本拓さんと高市早苗さんが出会ったのは、2003年の衆議院選挙直後のことです。


当時、高市さんは奈良2区で落選し、浪人中でした。

そんな時期に、高市さんの秘書を務めていた実弟が、山本拓さんの福井事務所に転職したことがきっかけになります。

その後、高市さんが山本さんの事務所を訪れ、使わなくなったFAXや事務用品を譲ってもらうことになりました。


このとき山本さんは冗談交じりに「事務所の物だけでなく、あなたも引き取りたい」と声をかけたそうです。


これが、二人の出会いの始まりでした。

「交際0日婚」と呼ばれたスピード結婚

2004年春、高市さんが周囲に「今年は結婚を考えています」と話していたことを耳にした山本さんは、高市さんに直接電話をかけ、

「バツイチですが、結婚相手に立候補します」
とプロポーズをしました。

さらに山本さんは、「調理師免許を持っているので、一生おいしいものを食べさせます」と伝えたといいます。


驚いた高市さんでしたが、約1週間後に「お願いします」と返事をし、交際期間ゼロでの結婚が決まりました。

結婚生活と夫婦の関係

二人は2004年6月に結婚し、盛大な披露宴を開きました。


披露宴では、安倍晋三元首相が乾杯の音頭をとり、小泉純一郎首相「円満なら幸せ。そうでなくても人間的修行になるかもしれない」とユーモアを交えた祝辞を贈ったと伝えられています。

山本さんには前妻との間に3人の子どもがいたため、高市さんはいきなり“3人の母”という新しい立場に。


忙しい政治活動のなかでも、家庭を大切にする姿勢が印象的だったと関係者は語っています。

離婚と再婚

しかし、二人はそれぞれの政治的立場や生活リズムの違いから次第に距離が生まれ、2017年に離婚


表向きは「政治的な考え方の違い」が理由とされていますが、互いへの尊敬は変わらず、離婚後も連絡を取り合う関係が続きました。

そして4年後の2021年、再び絆を取り戻した二人は再婚


山本さんは戸籍上「高市拓(たかいち たく)」と改姓し、再び夫婦として歩み始めました。

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現在の夫婦関係 ―  日本初の「ファースト・ジェントルマン」に

2025年、高市早苗さんが日本初の女性総理大臣に就任したことで、山本拓さんは日本史上初の“ファースト・ジェントルマン”となりました。


政治家としてのキャリアだけでなく、妻を支える姿勢にも注目が集まっています。

「ステルス旦那」として支える姿

2021年に再婚して以降、高市早苗首相と山本拓さんは、強い信頼関係と深い絆で結ばれています。


山本さんは現在、脳梗塞の影響で右半身が不自由になっており、高市首相が公の場で「私1人で介護しています」と語るほど、日常生活でも寄り添いながら支え合っているといいます。

山本さん自身は、「欧米と違い、日本では伴侶が目立ちすぎると本人の活動の妨げになる。私は“ステルス旦那”として支えたい」と語っています。


この“ステルス旦那”という言葉には、「前に出すぎず、陰から見守るパートナーでいたい」という思いが込められています。

また、インタビューでは

「縁の下の力持ちで支える役割を意識している」
「食生活など、家庭でできる範囲で妻を支えたい」
「総理の夫という自覚はあまりない」
と穏やかに語り、家庭では“普通の夫婦”としての時間を大切にしている様子が伝わっています。

現在も夫婦は東京都内で暮らし、政治家として、そして“ファースト・ジェントルマン”として互いを支え合う日々を送っています。


公私ともに信頼を基盤にした関係であり、高市首相の激務のなかでも、山本さんの存在は大きな精神的支えとなっているようです。

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まとめ

高市早苗首相の夫として知られる山本拓(やまもと たく)さんは、長年にわたり自民党の重鎮として活躍してきたベテラン政治家です。


福井県議から国政へと進み、農林水産副大臣や総務会副会長などを歴任。地方創生や農政分野に深く関わり、政策立案の現場で確かな実績を残してきました。

引退後も、政治家としての経験をもとに、高市首相の考えを理解し、的確な助言や支えを続けています。

脳梗塞を乗り越えながら、高市首相の公務を支え、家庭を守るその姿勢は、多くの人の心に温かい感動を与えています。


政治の世界で培った冷静さと責任感、そして夫婦の間に流れる信頼と愛情——。


高市早苗首相を支える“静かな力”として、山本拓さんの存在はこれからも注目され続けるでしょう。

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